伝説
清の乾隆五十一年(1786年)、林爽文が彰化で蜂起し、勢いは盛大で各地が混乱に陥りました。新竹・桃園一帯の客家集落は家園を守るため義勇軍を組織して抵抗し、大小数十の戦いで血を流しました。戦事が平定された後、犧牲となった二百余名の義勇は枋寮(現在の新竹県新埔鎮)に合葬され、郷民は墓の傍に廟を建てて祀りました。清の乾隆帝はその忠義を嘉し、「褒忠」の二字を御賜し、枋寮義民廟は正式名を「褒忠亭義民廟」としました。その後、朱一貴事件や戴潮春事件などで犧牲となった義民も次々と合祀され、義民廟は台湾の客家精神の象徴的聖地となりました。最も特別なのは、義民爺が神像ではなく「塚」(墳墓)を信仰の核心としていることで、これは台湾の宮廟信仰の中で極めて独特です。廟の後方にある義民塚は今なお信仰の核心であり、毎年の義民祭期間中には信者が墓前で盛大な祭典儀式を行います。
