
祀られている神様
三山国王
紹介
1895年の乙未戦争で、日本軍が新埔の街に火を放ち、広和宮(こうわぐう)の前殿・中殿と神像はすべて焼けてしまいました。いま目にする廟は、その後に少しずつ建て直されたものです。1902年にまず土レンガで簡素な中殿を建て、1919年からは十年近くをかけて大改修が行われました。新埔広和宮は三山国王を主祀とし、地元では「王爺宮」とも呼ばれます。新埔の潮州系移民が故郷から持ち込んだ信仰です。この大改修では見事な交趾焼が残され、その中には泉州の名匠・蘇陽水が1928年に落款した作品もあります。新埔は老街と客家の宗祠で知られる町なので、老街歩きのついでに立ち寄ってみてください。
歴史
広和宮は清の咸豊年間に創建されました。当時の新埔は吧哩嘓と呼ばれ、潮州から来た移民が故郷の三山国王を祀るため、郷紳・潘栄光の呼びかけで廟を建てました。咸豊九年(1859年)に廟の壁が崩れると、潘栄光・蔡良真・陳朝綱らが資金を募って修復し、翌年(1860年)に完成しました。1895年、日本軍が新埔の街を焼き払い、前殿・中殿と神像が焼失。1902年に潘成元が出資して土レンガの簡素な中殿を建て、福州の職人・林発本と林起鳳が三山国王など十二体の神像を作り直しました。1919年から地元の郷紳の出資で大改修が始まり、約十年をかけて1928年から1929年にかけて落成の醮祭が行われました。1940年の皇民化運動の時期には、近隣の廟の神像がここに移され、廟は「慧明寺」と名を改めてしのぎました。
イメージ図新埔広和宮
新竹県新埔鎮
参拝情報
住所
新竹縣新埔鎮中正路608號
地域
新竹県新埔鎮